出生からダイアナに出会うまで(起業するまで)
1947年
誕生
1947年 千葉県成田市で生まれます。
小学校1年生で父親が他界
小学校3年生で母親が他界
不幸な幼少期・・・
と思いきや
義父母、祖母に育てられ
また周囲の人が優しく接してくれて
何不自由ない幼少期を過ごせました。
体育大学に進学を希望していましたが
「女は早く嫁に行くことが幸せ」と猛反対。
昭和43年
高校卒業後、鐘紡株式会社に就職。
昭和47年
総務部のOLをしながら
ひたすらお見合いを繰り返し
8回目のお見合い相手の主人と、めでたくゴールイン。
主人は履物店の跡取り息子。
代替わりと同時に履物店から靴店、ブティック、店内禁煙の寿司店など
女性の視点にたち、時代のニーズに合わせて事業を展開、拡大していきました。
バブル景気と重なり、ものが飛ぶように売れ、
夏はヨット、冬はスキー、休みの日は旅行、高級車やブランド品
3人の子宝にも恵まれ、
またもや何不自由ない社長夫人生活を過ごせました。
しかしその反面、夫はいつも考えていました
「ものが売れる時代はそうは長く続かない」
「これからの時代にも求められるものは何か」
そんな時に目にしたファッション雑誌の片隅にあったダイアナの記事。
『補整下着で体型を整える』
ブテイックを経営していく中で、
上は9号でちょうどいいけど、下は11号でもきつい。。
服のサイズを直すのではなく、体を直すことはできないのか、
と、思っていた、夫の直感。本社へ問い合わせをし、経営理念や商品を知り、
「この会社は伸びる」と確信を強めたのです。(株)ダイアナも創業まもない時期でした。
しかし、私は、そんな主人に猛反対。
ダイアナは女性にしかできないビジネスだからとお前がやれというのです。
「痩せる下着なんて、絶対に怪しい」
しかし主人は譲りませんでした。
「お前がやらないなら、ほかの女性を雇ってでもやる」
さすがにそれはいやだなと思って(笑)
実際に自分で下着をつけてみて、あまりの着心地の良さにまずびっくり。
しかもピーマンのようなおしりが、ラッキョウのようにかわいく丸くなったのです。
「これはただものではない!」と身をもって実感しました。
そして本社で説明を受けて、商品や企業理念のすべてに納得ができたことと、創業者故大原逸男氏にお会いして、素晴らしい人柄と情熱に感銘を受け、社長を主人を信じてやってみようと決意し、研修を受け、1991年4月18日、千葉駅のショッピングセンター内にあるブティックと兼業でダイアナサロンをオープンしました。
チーフになってから、エンプレスチーフ賞を受賞するまで
オープン初日、7名のお客様からのスタート。
「ダイアナはものをうるのではない。美しくなる〝こと″を売っているんだよ」
創業者の教えのとおり、私を信じて購入してくださったお客様に、ダイアナをやってよかったと満足していただけるよう、アフターフォローを徹底した結果、お客様が次々に喜んでくださって。「チーフ、ありがとう」の言葉がすごくうれしくて。いい仕事だなと思いました。
しかし、もっと上を目指す主人と、楽しみながら現状に満足している私はぶつかり合いの日々。
昼間はサロンでダイアナの仕事、夜も家に帰れば主人とダイアナの話。
もううんざりで、ダイアナをやめたいと思うことが何度もありました。
でもぶつかり合いの原因は私のわがままがほとんど。
やめたいなと思うと、「チーフ、今度会社の同僚が結婚するから、それまでにきれいになりたいって」とか「お姉ちゃんがどうやって痩せたのって聞いてくるから今度連れてきていいですか?」とか。。無責任にやめるわけにはいきません。自分を律して、誠心誠意で、お客様と向き合いました。
どうやったらお客様がもっと満足してくれるのか、どうやったらもっとお客様のお役にたてるのか、本社のバックアップ体制と、さまざまな研修に参加し、先輩チーフからたくさんの気づきやヒントをいただき、また後輩チーフの情熱の勢いに、私らしいサロン運営を心がけたころから、売上がぐんと伸びるようになりました。
まだインターネットも、パソコンも、携帯電話も普及していない時代。
その時代に選ばれるものは、やはり「口コミ」です。
年に一度の海外研修は毎年条件を達成し、1992年のハワイ研修から27年連続で参加。
オープンして5年目、1995年から年間売上6000万円以上のサロンが認定を受けられる『年間優秀サロン』副賞は海外旅行です。
2018年現在まで、ずっと継続してやり続けています。
(年間売上1億円以上で副賞の海外旅行がペアでご招待。1998年~2008年までの10回は夫とペアでご招待いただきました)
また月商1000万円を3か月連続で達成したチーフに送られる『クイーンチーフ賞』
サロンを出店したチーフに送られる『ロイヤルチーフ賞』の副賞も海外旅行で、12回ご招待をいただきました。(副賞が海外旅行は2009年まで)
私が起業してから、ダイアナで無料でご招待いただいた海外旅行の回数59回!
同じ志をもった仲間と、達成感を持って参加する海外研修旅行は格別です。
こんな素敵な生き方を教えてくれたダイアナ。
感謝しかありません。
ダイアナで起業してよかった。
すべての女性にダイアナのチーフになってもらいたい。
創業者は言っていました。
「ダイアナのチーフの仕事は、チーフをつくること」
でも私は出店には消極的でした。
なぜなら私は主人のサポートがあったからここまでこれたのです。
夢を叶えたいと出店、独立していった大切な仲間が
道半ばに夢をあきらめ、閉店していくのを目の当たりにし、
私の使命とは何かを考えさせられました。
でも、そんな中、私のことを慕ってくれるファミリーのチーフたちもいました。
2000年を過ぎたころから、長男のグループが大きく広がり、
息子を中心とした勉強会が始まりました。
その頃チーフとして起業された方々が今もなお活躍され
ファミリーサロンがぐんと拡大し、年間優秀サロン認定を受けるサロンも出できました。
今ではファミリーで年間約2億円の売上を上げるまでに成長しました。
そして主人はサロンは私と息子と娘、スタッフに任せ、孫の世話と、趣味の写真と海外旅行。カメラ片手に世界を飛び回っていました。50代半ばにして、セミリタイア生活です。
しかし、がんを患い、2012年8月に他界。
40年間、生活を共にし、嬉しいときも、楽しいときも、悲しいときも、いつもそばにいて気持ちを共有してきた夫との別れです。
でも、夫は「おまえと一緒に仕事ができて、おまえといっしょにいろんなところに行けて、おまえといっしょにいろんな出会いがあって、俺の人生、ダイアナにであえてほんとによかった」という言葉を最後に旅立ちました。
だから私は決めました。
主人が好きだったダイアナを、主人が見つけてきて切れたダイアナを命をかけてやることが、私にできる供養なんだと。。。
葬儀がおわり、1週間もたたないうちに私はサロンでの仕事を再開しました。
そして長男がオーナーとして主人の跡を継ぎ、新生ダイアナ千葉が始まりました。
時期を同じく(株)ダイアナ本部も3代目社長がMBOを行い、オーナー社長として『100年続くダイアナ』を掲げ、社長の思惑を一つ一つ理解しながら、未来を見据えた新しい観点で挑戦が始まりました。
原点に戻り、『チーフの仕事はチーフをつくること』
2014年から5年連続で出店。
2016年には長女も私と同じチーフの仕事を志し、独立しました。
世代交代を課題にしている人もある中、私は支えてくれる家族に恵まれ本当に幸せだと思います。
そして2017年、70才、古希を迎えました。
70才のゴールデンプロポーション、レオタード姿を披露し、
たくさんの方がお祝いに駆けつけてくださいました。
まさに老いて美しく、老いて豊かな人生を歩んできたと実感できたその年の9月、
年に一度横浜アリーナで開催されるダイアナアワードにて
2017年もっとも頑張ったチーフに贈られる『最優秀チーフサクセス賞』の3名の中の一人に選ばれました。
今まで歩んできた道は、間違っていなかった、という自信が確信へと変わりました。
天国の主人、そして創業者へ感謝と同時に恩返しができました。
エンプレスチーフになった今の想いとこれからの夢と目標
最後に一言伝えたい想い
最後までお読みいただきありがとうございます。
エンプレスチーフ賞を受賞した2018年現在、私は71才です。
人生100年時代と言われて久しいですが、100才になるまであと30年を切りました。
そこでひとつ提案させてください。
もしも「私のダイアナ人生、仕事に興味を持った」「老いて美しく老いて豊かな人生を送ってみたい」そう思って下さった方、はぜひ下のボタンからお問い合わせください。
昭和から平成という時代の成功体験があるので、どうしても守りに入ってしまいます。
時代はものすごい勢いをスピードで変化しています。
でも、時代が変わっても、変わらないもの。
それは「志」です。
老いて美しく、老いて豊かな人生
健康で医療費削減
仕事をして納税
生涯現役で日々精進
社会のお役に立つ自分であること
それが私の志
71才の現役女性経営者の日常や思いを
「ブログ」というかたちで発信していく
そんなつぶやきが
誰かの励ましに、誰かの支えに、
まだ見ぬ誰かの人生を変えるきっかけに。。。
そんな無限の可能性へのチャレンジ。
私の第2ステージの、幕開けです。